琴と紬の工房 〜結〜
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朝日新聞掲載記事


信濃路に響く琴線の春 ―箏(長野)―

  東京・神楽坂から静かな路地を脇にそれ、ちょっと歩く。
宮城道雄記念館で名曲「春の海」を聞いた。やわらかな光を浴びてきらめく波のような箏の響きに、あわただしい心がほぐれて、光にとけていくようであった。

  「箏には霊が宿っている」。天才箏曲家宮城は、随筆「箏と私」のなかで、そうつづっている。

  一般に「琴」と称される箏。弦楽器の中でも、外に弾けるような音ではなく、心の奥に染み込むような、軟らかい、四季の移ろいのような、静謐な音は、いかにして出るものなのか。

  去りがての冬がまだ雪を降らせていた長野県、東部町に、吉澤武さん(59)を訪ねた。父について箏作りを手がけ、43年になる。「箏は架空の『竜』を形にしたものです。私は会津桐を使ってますが、この軟らかな桐から出る音がやっぱり、日本人の心と波長が合うのではないでしょうかねぇ」

  五畳余の畳の作業室で、吉澤さんは十三弦、六尺(約180センチ)の箏の、頭に当たる部分に紋様のついた『竜舌』という飾り木を取り付けていた。材料はインド産の『紅木』という、濃い赤茶色の硬い木である。

  ノミでけずり、カンナで削りながら、はめ込み、また、カンナで削っては、ぴたりと頭部に収まるように削ってゆく。あぐらを組む吉澤さんのひざあたりは紅木からでる赤い粉で染まっている。

  雪が氷雨に変わった。部屋の石油ストーブが静かに燃えている。

  「おい、おめぇのカンナは、ちっとも切れねぇじゃねぇか」

  部屋の隅でもくもくと箏の「前脚」を削っている弟子の渡辺崇さん(22)をしかった。弟子は「はい」と返事した。静かな声だった。吉澤さんに何度も断られた末に、粘って19歳で弟子入りした渡辺さんは、箏の、その音と、日本的な「風格」を持つその形に惹かれ、しかられても「修行は楽しい」といった。「若い頃の俺に似てる」と吉澤さんは、ちょっと頼もしそうである。

  箏作りは、箏に適した30年以上の桐材を探し出し、箏の形に大きめに切って、 最低でも2.3年、天日や雨にさらす。「そうして灰汁を抜く。抜きが悪いと音が悪い」と吉澤さん。

  乾燥させたら規定の長さと幅に切り、カンナでそりをつけていく。中央部をくりぬき、 音が反響する「綾杉」というぎざぎざ模様をノミで彫る。どの部分をどんな厚さに、どのように「綾杉」を彫っていくか。経験と勧がものを言う、職人の腕の見せどころの一つである。
 
  細かな作業を何度も経て、裏板を張り合わせ、表面をこてやバーナーで焼き、 装飾を付けて仕上げる。「良い音が出ますね」客のその一言が、嬉しくてたまらない。

  東京生まれ。縁あって小諸の楽器店で箏作りを教えた。千曲川べりの風景に惹かれ、 東部町に工房を構えて29年目の春を迎える。

(文・都丸修一、写真・川西正幸)
2003年3月15日に、朝日新聞に掲載された記事です。


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